
日本の新たな価値をつくる
~みらいきれいの未来~
Yuji Ishiwata
石渡 祐児
代表取締役
▼会社設立の経緯、想い
~幼少期から芽生えていた「いつか起業したい」という想い~
私が会社を設立したきっかけは、床屋を営む「両親」の存在が大きかったと思います。自宅の1Fがお店だったこともあり、働く両親の姿を幼少期から間近で見てきました。お客さんがお店に入ってくる度にお店のブザー音が家中に何度も何度も鳴り響く。「今日もお客さんたくさん来てる!」そのブザー音を聞く度に、私自身ワクワクしていたのを今でも覚えています。お店を閉めると1日の売上を毎日教えてくれた父。「これだけ仕事を頑張るとこれだけのお金がもらえるんだ!」幼いながらも “お金の価値” というものを学ばさせてもらいましたし、仕事に対して真剣に、誠実に、楽しく向き合う両親の姿は私にとっては憧れでもありました。そんな姿を見ていたからこそ、私の中には「会社員」として働くというよりも「自分自身」で稼ぎたいという想いが幼少期から芽生えたのかもしれません。
ただ、そんな想いを持ちながらも、大学卒業後は紙袋製造企業の「会社員」として5年働きました。ただ働いている間も、常に「新しいサービス」や「商品」のアイデア出しをして、同期に「こんなサービスあったらどう思う?」と頻繁に聞いていましたね。とはいえ良いアイデアが出てきても「じゃあどうやって始めれば良いんだ?」と具体的な進め方が全然わかっていませんでした。
そこで起業を視野に入れて「もっと裁量権をもって働けば何か見えてくるかもしれない!」「これからの時代はデジタルマーケティングだ!」そんな考えをもとにデジタルマーケティングのベンチャー企業へと転職することを決意しました。
■周りから反対された「ベンチャー企業への転職」そして「起業」
当時、入社を決めたベンチャー企業は社員3名。とても小さな会社だったので、周りからもたくさん反対されましたし、その先にある「起業したい」という夢もリスクが高すぎると多くの方から心配されてました。
実際にベンチャー企業に入ると、想像以上に忙しくて毎晩終電まで仕事、それでも終わらなくて家の近くの24時間マックで夜中の3時、4時くらいまで仕事をしてましたね。当時はベンチャー企業を完全に甘く見てしまっていました。未経験の業界だったので、マーケティング用語も全然わからないし、効率的に仕事ができるタイプでもなかったので上司からもたくさん怒られ、「とんでもない業界に来てしまった…」「もう辞めたい…」そんな後悔をする毎日でした。ただ私自身も多くの反対を押し切って転職をしたわけです。そんな簡単に辞めてしまって良いんだろうか?もう一度なぜこの会社に転職したのかしっかり向き合った上でどうするか決めようと。
■目的意識を明確にしたことで見えてきた道
そして最終的に導き出した自分の解は「起業するためにこの会社に転職をしてきた」「起業して成功するためには今、目の前にあるこの大きな壁を乗り越えなくてはいけない」そんな結論でした。
自分自身の “解” が見つかってからは今まで逃げ出したいと思っていた仕事との向き合い方が180度変わりました。「この仕事は難しいけど、やり切れば必ず成長できる」自分自身が前向きになれるように1つ1つ仕事に目的意識をもって取り組むことで、成長が実感できるようになっていったんです。すると自分自身の成長と比例してどんどん仕事が楽しくなっていきました。
入社当時3名だった会社が気づけば業績もどんどん拡大し、社員も70名程までに拡大。本当に仕事が楽しくてしょうがなかったです。そうなると次の問題が出てきました。「このまま起業せずに社員として続けていく形で良いかも」。
人間、やはりコンフォートゾーン(自分の居心地の良い場所)から抜け出ることは大変です。このままだといつまで経っても起業出来ないで終わる。「じゃあどうすれば私は起業を決断できるんだろう?」その時に辿り着いたのが「会社を辞めざるを得ない状況をつくろう」という結論でした。
そして私がでた行動としては会社側に「3年後のこの日に会社を辞めて起業します」と伝え、周りの社員にも起業する日を積極的に伝えていきました。
これで辞めなかったら「石渡は口だけだ」と周りから言われる。それは絶対に嫌だ。これでいよいよ私自身の辞める日が決まりました。起業の期限が決まってからはより一層成長にコミットする環境を創り出すことが出来たと思います。
■ コツコツ積み上げていったものが気づいたら強みに
晴れて3年後「みらいきれい」を立ち上げました。
とはいえ会社を立ち上げたものの、事業はほぼ白紙状態。やりたいことはあったものの手持ちのお金では足りない。資金を捻出するためにも「まずは私自身の強みを活かしたことをやっていこう」とコツコツと始めたのが「広告用の記事」をつくることでした。
とにかくたくさんの記事をつくりました。ありがたいことに前職のベンチャー企業でデジタルマーケティングの広告にたくさん携わっていたので「商品の魅力をどのように伝えると読み手は興味をもって頂けるのか?」というセンターピンを理解しながら大量の記事を書く経験をさせて頂きました。恐らく100社くらいの記事を書いた時、ふと周りの企業を見渡してみると「広告用の記事に特化している会社」がないことに気づいたんです。
「ひょっとしたらこれは大きなビジネスになるんじゃないか?」と気づいたら大きなチャンスをつかみ取っていた感覚です。
▼会社として叶えたい夢
~なぜ「会社」はあるのか?~
前職時代、TOPの方から「石渡、会社の存在意義って何だと思う?」そんな話をたくさん頂いたのを覚えています。それは「人を雇用するためだよ」と。それが結果的に「社会に貢献すること」に繋がると。
近年「個人(フリーランス)」があたり前の時代となってきていますが、「会社」だからこそ出来ることがあると私は思ってます。「個人」では能力面においても資金面においても出来ることは限られていますが、「会社」であれば世の中を変えるくらい大きなことが出来ます。そしてその過程における「喜怒哀楽」も仲間たちと分かち合える。それがより一層成長に繋がり、仕事が楽しくなり、社員みんなが前向きに人生を歩み始める。そんな無限の可能性を秘めているのが「会社」だと私は思うんです。
私たちが展開しているStoryマーケティングにも少し触れてお話ができればと思います。語弊があるかもしれませんが、いわゆる広告代理店は「買ってもらうための広告」を作ってしまう傾向があると思っていて。本質的には「買ってよかった」「また買いたい」と買った後に “感動してくれる広告” をつくることがすごく大切だと思うんです。まさにその商品の “ファン” をつくりだす広告。そんな広告を実現するためには、商品の「機能面」の説明だけでなく、「開発者の想い」や「背景」など裏側のStoryをしっかりと伝えることが重要だと思っています。私たちがクライアント様の商品の魅力を最大化する記事を作り、クライアント様の売上がどんどん拡大すれば、そこでまた雇用が生まれますよね。こうやって社会貢献に繋げていくことが会社にとっての理想でもあり、目指すべきところだと思ってます。
■ もう1つの事業、自社プロダクト「itten(イッテン)」が目指す世界
みらいきれいでは、Storyマーケティング事業だけでなく「itten」という自社プロジェクト事業もスタートしています。
「itten」は、スマホでご自身の手を撮影すると最適なお箸の長さを算出し、職人がそのサイズに合わせて一膳一膳おつくりするという日本初のサービスです。
今や「大量生産の時代」が終わり、「より良いものを必要な分だけ生産するという時代」に移り変わってきている中で、1人1人に合ったお箸を1膳1膳つくって提供していくというのは究極の形でもあります。 “お箸 × テクノロジー” という新しい価値を創造し、日本の伝統工芸品であるお箸を未来へと紡いでいくことを目指しています。
私たち日本人は毎日お箸を使うにもかかわらず、このお箸にこだわっている人があまりにも少ない。「毎日使うものだからこそもっとお箸にこだわりを持とうじゃないか」そんな着想で始めたのがittenです。今や日本食は世界に広がり、多くの方がお箸を使うようになりました。日本には外国人の方も非常に多く訪れるようになってきています。こうした外国人の方にもぜひittenを使って頂きたい。ittenが世界に広がることで、職人文化を未来に繋ぎ、またそこで雇用が生まれる。洋服といったら「ユニクロ」、車といったら「TOYOTA」、そんな形でお箸といったら「itten」、そんな世界観を創りたいなと思っています。
▼個人としての夢
~「最高の親孝行」とは何だろうか?~
個人として抱いている大きな夢は両親への「親孝行」です。昔は、両親にプレゼントを送ったり、どこかへ連れて行ったりすることが親孝行だと思っていました。でも今思う一番の親孝行は「自分自身がイキイキと人生を過ごすこと」だと気づいたんです。私が楽しそうに毎日仕事をしたり、新しいことに挑戦している姿に両親も喜んでくれる。それこそが「最高の親孝行」なんだと気づきました。
■ 私の「人生の最終GOAL」
私は幼少期からサッカーが大好きで、スタジアムに試合を見に行くことがとても楽しみでした。老若男女問わずみんなが熱狂して、応援している姿をスタジアムで見た時「このみんなが熱狂できるものを地元に創れたらどんなに幸せなんだろう。」そんな想いが頭ではなく、自分自身の “内側” から溢れ出てきたんです。
そしてもう1つの夢は地元の千葉県佐倉市に「佐倉城」を再建すること。もともと私が生まれ育った場所は「佐倉城」というお城がある町でした。過去に何度か「再建しよう」という声も上がっていましたが、実現されずに今に至ります。
今も定期的に佐倉には帰っていますが、駅前の商店街の活気は失われ、毎回寂しい気持ちになるんです。そんな地元に佐倉城を再建し、その下に城下町をつくることでもう一度佐倉に活気を取り戻したい。成田空港も近い場所ですから多くの人が観光名所として佐倉に訪れる絵をイメージするとこれもまたワクワクしてしまう。
そのため私の「人生の最終GOAL地点」は、佐倉城の中に入って、その窓から大きく賑わう「城下町」や「サッカースタジアム」を眺めた時に私自身の人生の役目を終えると。少し壮大に聞こえるかもしれませんが、地元を盛り上げて、多くの人が幸せを感じられる場所を作りたいんです。そんな大きな夢を実現させてワクワクしている私がいたらきっと両親は最高に喜んでくれるんじゃないかと思うんですよね。
▼社員への想い
~「仕事が楽しい人」は世の中にどのくらいいる?~
社員に伝えたいことは「仕事を楽しむこと」このワンメッセージです。世の中の働いている人たちの中で「仕事が楽しい!」と思えている方は果たしてどれほどいるでしょうか。恐らくかなり低い割合なのではないかと思います。でもなぜみなさん仕事を楽しめてないのでしょうか?それは私が思うに「目的意識がないから」なんではないかと考えてます。
私もベンチャー企業時代、完全に目的を見失いかけていた時、仕事が嫌でしょうがなかったです。逃げ出したいとさえ思っていました。でもその時に自分を支えてくれたのが「起業したい」という夢でした。その夢を実現したいからこそ目の前の仕事に一生懸命になれて、成長できて、仕事にワクワクすることが出来ました。だからこそ、みらいきれいの社員にも「自分自身の目的意識」を持って働いてほしいと思っています。
社員に裁量権をどんどん渡して、たくさんの失敗と成功体験を積んでいってもらいたい。自分で決めて動いて結果を出せると、さらに仕事が楽しくなっていきますからね!
■ 組織崩壊で気づいた大切なこと
実は、みらいきれいの8期目に “組織崩壊” といえるほど社員が激減してしまった時期があります。会社をより良くしようという思いが悪い方向にいってしまい、外部からのアドバイスをもとに自分の考えとは違う「経営スタイル」を取り入れてしまった。すると社員同士の気持ちがバラバラになり、会社の雰囲気は最悪に…。私のこれまでの人生で一番辛くて、正直経営者である私が「会社に行きたくない」と思ってしまうほどでした。
その時に「私は何のために会社をやっているのか?」「私の幸せって何なのか?」徹底的に自問自答しました。ふと何気なく過去に自分が撮った写真を振り返っているとその写真にうつる社員がみんな笑顔なんです。みんな楽しそうにしているんです。私は社員の子が楽しそうにしている時が大好きで、ついつい写真を撮っていたんです。そこでようやく気づきました。私は「人が幸せにしている時に自分の幸せを感じるんだ」と。
その時、自分を信じて “自分らしい経営” をしていこうと決心がつきました。みらいきれいの第二創業期が始まりました。みらいきれいを語る上でこの「組織崩壊」はこれからもずっと語り継がれていく大きな転機となっています。
▼応募者へのメッセージ
~「大手かベンチャーか」── どちらを選ぶにしても~
就職や転職を考えるとき、まず「大手企業」に行くか「ベンチャー企業」に行くかで悩む方が多いのではないでしょうか。私自身、新卒では「大手企業」、次は「ベンチャー企業」と両方を経験しました。今振り返ると私自身に合っていたのは「ベンチャー企業」でした。裁量権が大きいし、会社が拡大するスピードをリアルに感じられるので、 “自分の成長” と “会社の成長” の2倍楽しめるのも大きな魅力です。
■ 夢や目的意識がある人と働きたい
とはいえ、「この会社、楽しそう!」というだけで飛び込むと、困難にぶつかったときに折れてしまうかもしれません。だからこそ、ワクワクする「夢」や「目標」を持ち、それを実現するために成長したいと思う人にとっては、みらいきれいがピッタリだと思います。「何のために働くのか」「どうなりたいのか」をはっきり意識している人ほど、会社という環境をうまく活用している印象です。とはいえ、「とにかく熱狂できる人生を送りたい」という気持ちを持ちながらも夢や目標をまだ具体的に描けていない人はぜひ一緒に「人生をかけて目指す夢」を一緒に探していきましょう。
平日の「5日間」は仕事です。土日の「2日間」を楽しみに5日間を耐えしのぐ人生はやめて、「7日間」ワクワクしながら社員のみんなと人生を共に出来たら嬉しいですね。みなさんからの応募をお待ちしております。